きらきら

わんこのお話からお仕事のお話からおいしいもののお話から。なんでもありあり。

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白 薄紅 若葉 つらつら繰り返し 並木は誘う遠い町まで

庭先の幼木(おさなぎ)見とれつまづいた いつも他人の庭など気にして

さやさやと雨だれ受けて白弾むこんな日だってあるよと弾む

桃色のほっこり笑う花びらは病んだ腹にも染み込む薬効

優しげな言葉の裏にある意味をいい年をして今更に知る

見ていても見ていなくても咲く水木 私もそこへ咲きたい生きたい


「琴線に触れる」と言う言葉がありますが、花水木は、私の「琴線に触れる」花のひとつです。
木蓮にも気を奪われることが多いので、多分、細長い木にぱらぱらぱらと花や葉がついている様子が、なんとなく切なげに見えてしまうってことなんでしょう。

桜みたいにわっさわさと咲くわけじゃない、椿みたいに青々した葉の間に可憐な花がぽっと浮かび上がると言うことでもない、なんとなく頼りなげな風情のあるところに、心惹かれてしまうわけです。

季節のせいもあるのでしょうが、花水木は、見るたびに、思春期から大人の始まりまでの、青年を思わせるところがあります。
儚げで瑞々しくて精一杯を感じます。

対して、木蓮は大人の苦さを感じます。無理に咲く必要はないのだけれど、それでも天に向かって咲かずにはいられないとでもいうような、ふっくらとした花は、華やかではなくても、思わず立ち止まらずにはいられない芯の通った美しさがあります。3月を過ぎると、茶色く変色してばらばらと散っていき、それと入れ替わるように、花水木が色付きだします。なんとなく、3月に定年を迎えて去られる先輩方と、4月に意気揚々とやってくる新入社員、みたいな構図に感じられてきます。

いずれにしても、誰かに見られるために咲くのではなく、花だから咲く、と言うその淡々とした覚悟を、いつも心にとどめて生きていきたいと、季節の花を見るたびに思います。
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